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酒井忠利 (海軍軍人) : ミニ英和和英辞書
酒井忠利 (海軍軍人)[さかい ただとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さけ]
 【名詞】 1. alcohol 2. sake 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
海軍 : [かいぐん]
 【名詞】navy, Navy
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 
軍人 : [ぐんじん]
 【名詞】 1. military personnel 2. soldier 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

酒井忠利 (海軍軍人) : ウィキペディア日本語版
酒井忠利 (海軍軍人)[さかい ただとし]

酒井 忠利(さかい ただとし、安政4年5月12日1857年6月3日) - 昭和18年(1943年2月8日)は、日本の海軍軍人出羽庄内藩主・酒井左衛門尉家の一門で、米津政明の次男、酒井忠発の養子(三男)。伯爵酒井忠良の養大叔父〔『大衆人事録 東京篇』「酒井忠利」、『大正人名事辞Ⅱ 下巻』「酒井忠良」〕、子爵米津政賢の叔父にあたる。備中松山藩主で、子爵・板倉勝定(勝貞)〔『大衆人事録 東京篇』「板倉勝豪」、「酒井忠利」〕、陸軍大将西尾寿造は女婿。従四位勳三等功四級。最終階級は海軍少将
== 人物 ==

1872年(明治5年)、海兵士官学校に入校。同校は海軍兵学校とは別個の存在で、明治初年のみに存在した海兵隊育成を企図した学校である。しかし在校中に廃校となり、すでに4年在校していた酒井は、3ヶ月の速成教育を受けて卒業。同じ履歴を有する者に武富邦鼎中野信陽がいる〔『海軍兵学校物語』p.30,p.235〕。少尉補となった酒井は砲術や運用術を学ぶため海兵に通学し〔『履​入266 ​兵​学​校​よ​り​酒​井​少​尉​補​在​校​の​義​伺』〕、「金剛」乗組みを経て少尉に任じられた。日清戦争においては「橋立」副長として、艦長日高壮之丞を補佐して黄海海戦を戦った〔『ロシヤにおける広瀬武夫』(下)p.150〕。以後7艦で艦長を務める。1901年(明治34年)ロシア公使館武官に補され、3年あまり在任した。武官補佐官は広瀬武夫である。日露戦争中は軍令部出仕、佐世保海兵団長、元山防備隊司令官を務める。1905年(明治38年)9月に少将へ昇進し、翌年予備役編入となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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